こんにちは。コロナワクチンの接種が始まったものの、なかなか見通しは厳しい感じですね。
さて、今日は『クラスにいる問題を抱える子どもの存在』についてです。
増えている問題を抱える子ども

近年、【発達障害】【学習障害】などという言葉が、知られるようになり、それに伴い、学校や学級内で【問題を抱える子ども】が増えています。
文科省の資料では、2010年には特別支援学級に発達障害や学習障害で在席している子どもの数は約55,000人だったのに対し、2018年では、約120,000人となっており、2倍以上に増えています。
参照サイト:1421554_3_1.pdf (mext.go.jp)
あなたは【問題を抱える子ども】と言われたらどんなタイプの子どもを想像しますか。以下のような子どもを想像するかもしれません。
- 授業中や休み時間に暴れる子ども
- 授業妨害をする子ども
- 四六時中寝ている子ども
- 途中で教室から勝手に出て行ていく子ども
等々、実に様々な子どもがいます。
ほとんどの場合は、子どもは好きでこのような行為をしているわけではなく、【自分自身ではどうにもできない】ため、子ども自身が一番困っているわけです。
ある子どもに、なぜ大声で暴れるのかを聞いてみたところ『分からない。そうなると、どうすれば良いか分からず益々困ってパニックになる。』と。
このような子ども達が年々増えており、30人程度の学級には平均で4名程度、このような子どもがおり、特別な配慮や支援が必要であるとされています。
たとえば、ADHD(多動で注意が散漫という障害を持つ)の子どもを担任した時のこと。
前年度の教師からは【手の付けようが無い】【親御さんも修学旅行に行って事故に遭わないか、どこかに行ってしまわないか心配されている】という引継ぎを受けました。
こういう子どもたちは特別なのでしょうか。
クラスにいると厄介なのでしょうか?
何の問題もない子どもや、その保護者からすると【厄介】かもしれません。
しかし、私の経験上の結論から言うと・・・目が悪くて眼鏡をかけている子どもがいるのと同じです。
誤解がないように言うと・・・目が悪い子どもは、それを補うために眼鏡やコンタクトレンズを装着します。多動で注意が散漫な子ども(障害の場合には、脳に問題があるとされているので)は、薬を飲む、サポートが必要な部分に適切なサポートをするだけです。
このADHDのF君は、中学生でしたが、話も通じるし、席に座って授業を受けることも、全く問題ありませんでした。
引継ぎで聞いていたような、半分脅しの様なことは何もなく、私からすると、他の子ども同様にイタズラや過ちを犯すことはあるものの、想定の範囲内のものが多い感じでした。
ただ、何度かちょっとした問題は起きました。
このような問題を抱える子どもは、毎年担任するクラス(25=30人弱のクラス)で4~5人はいました。
診断を受けたり、薬を服用していたりする子どもがいる一方で、何だか問題があるみたいだけど、そのような診断は受けていない子どもの方がむしろ多くいました。
では、そのような子どもとの向き合い方や適切な支援とはどのようなものなのでしょうか。
問題を抱えている子どもの適切な支援

問題を抱える子ども達への適切な支援に、正解はありません。
同じ【発達障害】や【学習障害】等でも、1人1人の子どもによって、抱えている問題や必要な支援が異なるからです。
支援の詳細や【合理的支援】に関しては、以下の記事で紹介していますので、興味のある方はご覧ください。
支援を必要としている子どもは、問題を抱えている子どもだけではありません。
一見、何の問題もないような子どもでも、様々な悩みや問題を抱えていることもあります。
私の経験から、大事なのは、【問題を抱えているから特別に支援する】ことではなく、【一人一人の子どもが必要としている支援をする】ことだと思います。
必要な支援の量や種類は、それぞれですが、その子どもにとって最適な支援をすることが、最終的には顕著な問題を抱えている子も、いない子も、救っていけると感じます。
ある時、上記のADHDのF君が、給食の時間に、指定されている席を変えて平気で座っていることがありました。
本人は、【悪いこと】という自覚が半分以上ありました。これは、いけないことです。
小さなルールが破られたら、みんなが同じようなことをし始めるからです。
だから、日本の学校では頭髪や服装、全て枠にはめて、その枠からはみ出ないように管理しているのです。
その時、私はどうしたか?
しばらく様子を見ていました。
周囲の子どもは、F君の【おかしな行動】に気づいているものの、見て見ぬふりでした。【F君だから仕方ない!】という感じです。
実は、これが大きな問題だと、私は思っています。
勿論、子ども達にも色々言い分があり、
- 言っても聞かない
- 言ったらF君に暴力をふるわれる
- 別に咳を変わるくらい大したことではない
等々、子どもにも事情があるわけです。
そこで、私は、その後の学級活動で、子ども達に聞いてみました。
【なぜ、誰もF君を注意しないのか】
やはり、子ども達の言い分は、上記の様なものでした。【注意して起こるリスクの方が、注意しないで、何も起きないリスクよりも格段に高い=注意する意味はない】という感じです。
また、
- えっ、だってルール破ってるのはF君だし(自分ではないから関係ない)
- F君は問題のある子だから仕方ない
- 実際に、何が起きているか知らなかった
という子ども達もいました。
実際に、他の子どもは、ルールを守っているわけだし、みんなは、今までにF君がどのようなことをしてきたかも全て知っています。
では、子ども達と、F君とどのように向き合えば良いのでしょう。
私は【F君をみんなの前でつるし上げる】気持ちもないし【他の子ども達を責める】気持ちもありませんでした。同じ空間で、異なる悩みを持つ子ども達が、どのように支え合い、思いやり、互いを高め合えば良いのか、それを全員に考えて欲しいと思いました。
そこで、私は以下のことを子ども達に伝えました。
①F君は問題を抱えていて、みんなが言う通りルールを破ることがある。
②でも、F君は話を理解できる。
③F君に『それは間違っている』と教えてあげることは、F君にとっても、みんなにとっても大事なこと。
前の学年まで、散々暴れてきたF君を見てきた子どもたちにとって、同じクラスになったことは『貧乏くじ』なのです。
しかし・・・F君のような子どもを真ん中に据えて、協力できるようになるとクラスはまとまり始めます。
『問題のないうちの子どもが我慢するのは不公平では?悪いF君を指導して下さい!』と思う親御さんもいるでしょう。
私も、親の立場なら同じように思うでしょう。
しかし、集団の中では不思議な、前向きな化学反応が起きるのです。
この事件以降
- F君が何かルールを破りそうになると、周りの子どもたちが声をかけるようになった
- F君は、声をかけられると、みんなの忠告に従っていた
- F君の生活が落ち着くと、前の学年であったような『教師とのトラブル』による授業の中断や、クラス内の不要なイライラが消えた
- クラス全体が、周囲の友だちのことを以前より気にかけるようになった
これにより、他の子どもたちは勉強や、学校生活に集中でき、クラス全体が落ち着きます。
落ち着いたクラスの中で、自分の存在を認められているF君は、『自分もきちんとしよう』『勉強を頑張ろう!』となります。
私が怒鳴ったり、他の教師が授業を中断して説教をしたりがなくなって、みんなが心穏やかになったのです。
F君が、私のクラスになってしばらくした頃、F君のお母さんが言いました。
『今までの学校生活の中で、Fが人間として扱われたのは初めてです。Fは家でも見違えるように落ち着いています。』と。
問題を抱える子どもの親もまた、周囲からの冷たい視線にさらされ、常に頭を下げて、惨めな思いで生きているのです。
色々な形の支援がありますが、私は1人への支援は結局全体への支援にもつながることを何度も経験しました。
まとめ

問題を抱える子どもを適切に支援することは決して簡単なことではありません。
むしろ、端っこに追いやっておけば良いではないか!と思う人もいるでしょう。
しかし、そんな問題を抱える子どもが、問題を解決しながら成長できるクラスは、他の子どもにとっても、適切な支援を受けて安心して生活できる環境だと思うのです。
年々増加傾向にある問題を抱える子ども達。
決して特別な存在ではなく、またて『厄介者』でもなく、むしろクラスをまとめる『キーパーソン』なのです。
そして、全ての子どもが必要とする支援を受けられる環境こそ、問題を抱える子ども達も含めて、より良い教育環境になると思うのです。